年の瀬の大団円

今年も残すところあと僅かとなりました。
そんな年の瀬を迎え、競馬では有馬記念キタサンブラックがラストランで感動の大団円、そして東京大賞典コパノリッキーも有終の美を飾ってくれました。

振り返ってみれば、今年も災害や凄惨な事件も起こっていて、決していいことばかりがあった年ではありませんでしたが、年の瀬の大団円は嬉しい限りですね。


ここ築地も、先日ようやく場内市場の移転が来週に決まったとのこと。いろいろと紆余曲折があり、また様々な課題もまだまだ山積みかもしれませんが、この決定は大団円とまでは言えずとも、明日への確かな一歩ではあるはずです。

市場まわりは、今朝もいつもの年の瀬と変わらない活気であふれていました。どの店も大繁盛、これから大晦日にかけて更なる賑わいを見せることでしょう。

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そんな中、あの夏の日悲劇の出火に見舞われた一角も力強く明日への一歩を踏み出していることが確認できたことが、本当に何よりでした。

まだ青空状態ではあるけれど、焼け跡では商いが始まっていましたし、別の場所で再起の歩を進めている店も少なく、そんな頑張りは我々に勇気を与えてくれます。

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「俺ももっと頑張らなきゃ!」寒風に丸まっていた背筋が少しシャキッと伸びた、年の瀬の朝でした…。

「変なホテル?」それとも「旅の宿」

こないだの休日、いつものように街歩きをしていて入船橋に差しかかったところで何気なく視線を上げると、妙なビルを発見。

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「なんじゃこりゃ~?」何度目を凝らしてみても、ビルに書いてあるのは「変なホテル」という奇抜な名前。しかも近寄って見てみるとどうやらまだ工事中。ますます怪しいと思い家に帰って調べてみると、「H.I.S.ホテルホールディングス」が展開するホテルチェーンで、そのホームページには以下のように書いてありました。
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「変なホテル」は先進技術を導入し、ワクワクと心地よさを追求した世界初のロボットホテルです。

フロントでは多言語対応のロボットたちがチェックイン・チェックアウトの手続きを行い、クロークではロボットアームが荷物を預かります。どこか温かみを感じるロボットたちとの楽しいひとときに、心をくすぐられることでしょう。 更に、客室前で顔認証をすれば、その後はまさに顔パス感覚。鍵の持ち運びのわずらわしさ、紛失の不安から解消されます。
「変」には「変化しつづける」という意思が込められ、目指すは、常識を超えた先にある、かつてない感動と快適性。

「変なホテル」へご宿泊の皆さまを、未体験のサプライズで一足先の未来へいざないます。
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新しいホテルができるみたいだけど何だが面白そう、完成がいまからとても楽しみです。

ところでふと気づいたのは、かなりのテンポでこの近辺にホテルが建っていること。
少し前までは築地には銀座キャピタルホテルくらいしか目立ったホテルはなかったのに、特に最近は新しいホテルが競うようにどんどんオープンしています。


築地・明石町エリアのホテルだけ挙げても、
「銀座キャピタル本館・新館」「銀座クレストン」「東急ステイ」「京王プレッソイン」「ホテルBAN」とあったところに、

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ここ数年のうちに
アパホテル」「ファーストイン」「ヴィアイン東銀座」「京急EXイン」「ホテルリブマックス」など、新しい個性的なホテルが誕生していて、そしてさらには前述の「変なホテル」や現在工事中の物件さえもある林立ぶり。

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確かに築地場外に訪れる外国人観光客は後を絶たないし、東京五輪も控えているからこれも必然かもしれませんが…。


それは地域活性化のためには、きっと歓迎すべきことなのでしょう。
どのホテルも、それぞれ個性的で居心地のいい空間と時間を提供してくれるのでしょうね。


でもホテルではありませんが、下町築地の情緒を最も感じさせてくれるのは、実はこんな「旅の宿」かもしれません。その名は「大宗旅館」

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あたかも時代を逆行したようなゆるりとした刻を過ごすのも、一興かもしれませんよ。

揺れて瞬く街の灯に誘われて

秋も深まり夜も更けて、いよいよ暦の上で秋の最終日となりましたが、日に日に夜の寒さが身に沁みてくるこの季節は、何故だか無性に街の灯りに惹かれますよね。


揺れて瞬く街の灯に誘われて、先日、コートの襟を立てながら宵闇の銀座・有楽町から丸の内・八重洲をそぞろ歩いてきました。

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煌くイルミネーションが織り成す光のシャワーはとてもゴージャスで、なんだか幸せな気分になりました。これから年末にかけて街はますます華やぎ、否が応にも、年末モードは昂まるばかりです。


さて、築地周辺にはそんな華やかなイルミネーションこそありませんが、日々の暮らしで疲れた私たちを癒してくれるような柔らかな灯りが、そこかしこに揺れて瞬いています。

勝鬨橋の青と緑のライトアップは、ロマンティックでありながら、観ていると不思議と心が和んできます。

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本願寺の盆踊りの揺れる提灯の中で“東京音頭”が流れると、疲れたはずの体に力が湧いてくるのは何故でしょう。

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そして数多の店の軒先で揺れる提灯や灯の数々。
あのさりげないながらも圧倒的な存在感、お店の中で日々繰り広げられる悲喜交々の人間ドラマの“無言の語り部”なのかもしれませんね。「提灯は何でもしっている」ってか。

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今現在、波除神社でも提灯が煌々と灯りをともしています。
明日から師走に突入の今日は、波除神社も三の酉です。参拝すれば何かご利益があるかも。

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…そして帰り道は、赤提灯の誘惑にわざと負けてやるのも結構“粋”かもしれませんよ。

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-五臓六腑に染み渡る飲み干す一杯-

2度にわたる秋の台風襲撃から、早ひと月以上が過ぎました。立冬もとうに過ぎ木々は色づき、地方によっては初雪の便りも聞こえる今日この頃、冬はもうすぐ目の前に迫っています。

そんな季節になるとふと思い出すのが、寒い夜にどこからともなく聞こえてきたチャルメラの音色です。
築地にも、昭和の時代は夜になると姿を現す屋台のラーメンがありました。凍てつく寒さの中ですすった懐かしいあの味は、いまも忘れることはできません。「ああ、また屋台の中華そばを、飽きるまで堪能したい…」そんな衝動にかられることも少なくありません。

「炭水化物は控えめに…」と思いつつも吹きすさぶ寒風の中、矢も盾もたまらず、先日、新しくできた晴海通り沿いのラーメン屋に行ってきました!

店の名は『北海道ラーメンーみそ熊ー』で、選んだのは「激辛味噌ラーメン」でした。

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早速食してみると、激辛一辺倒ではなく、辛い中にもしっかりと濃厚な旨味がある、なかなかの味噌ラーメンでした。
この場所では少し前まであの『大勝軒』(築地大勝軒)が営業していて、その後でやる以上には、ある程度以上のレベルはまず期待できるだろうとの目論見は、正解でした。「今度は普通の味噌ラーメンを食べてみるべし!いい店を見つけたシメシメ」と、そんなこんなでほくそ笑んでいた私ですが、
ふと思ったのは、「もしかしたら築地って“新・ラーメン激戦区”」?ということです。

いま思えば昭和の時代の築地は、市場周辺は別にして、何故かあまり飲食店がなかったような気がします。場所柄いい食材はふんだんに手に入るのに、どうして店が少なかったのかは、本当に不思議ですが…。
それがどうでしょう、今では晴海通り周辺にはこんな感じでラーメン屋が軒を並べて鎬を削っています。

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同じ築地でもこちらは中央区役所近くですが、夏にはこんなお店もオープン。

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「こ、これは、この看板は…!
二郎系の『らーめん大』が、ついに築地にもできたのか!!」と、一瞬思ってしまいました。

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…既に数回足を運んでいますが、注文は“野菜増し”です。
ここでは外国人のお客さんを何度か見かけているので、もしかしたら、早くも母国でクチコミで広がりつつあるのかもしれませんね。


またあかつき公園近くには、ラーメン専門店ではありませんが、タイのラーメンを食べさせてくれる小さなタイ料理屋があります。しかもクィッティオ(米の麺)ばかりではなくバーミー(タイの中華麺)を作ってくれるのは、嬉しい限りです!

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このように、いつのまにか築地では個性的な美味しいラーメンが食べられる店が、昭和の時代に比べて格段に増えているみたいです。


とはいえ、もちろん昔はお店が無かったわけではありません。
先日焼失してしまった『井上』、『井上』すぐ近くにあり足繁く通った『静乃屋』、担々麺が絶品だった中華料理店『芳蘭亭』、隠れメニューの「端っこチャーシュー麺」にハマった東銀座の『味助』など、無くなってしまった名店もありました…。ただお店の数が少なかったことは確かでしょう。


“無くなってしまった…”といえば、エリアは銀座になりますが、昭和40年台から銀座一丁目にあった老舗中華屋『天津飯店』が移転して神田にあるのを聞きつけ、先日行ってきました!目的は勿論、看板メニューの「北京チャンポン」です。
絶望的に真っ赤なビジュアルながら、不思議とそこまで激辛ではなく深い味わいのある旨味が凝縮された一杯は、昔のとおり!何年も食べていなかったけれども、味の記憶は確かで、しっかりと残っていました。

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…このように炭水化物の過剰摂取を気にしつつもラーメンから離れられない私にとって、築地市場の移転はやはり憂鬱です。そう、場内の多くのお店が豊洲に行ってしまうのです。中でも、『ふじの』のラーメンが遠くに行ってしまうのは、本当に寂しいかぎり。いつもスープまで全て飲み干すあの「正統派の絶品中華そば」は、自分にとっては“五臓六腑に染み渡る飲み干す一杯”なのです…

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…こんなブロクを書いていたら、なんだかまた無性に食べたくなってきてしまいました。「よし、次の月曜こそは絶対にチャーシュー麺を食べてやる、シュウマイ2つ付けて!!」


あ、もちろん築地界隈にはまだまだ美味しいお店はたくさんあります。またこちらのブログでボチボチと、ゴキゲンなお店を紹介されていただきますね。

ただいま工事中 -快適な新時代を迎えるために-

季節外れの寒さと長雨が続きますね…

先週の木曜日10月12日は、最高気温が29℃だったのに、一週間後の日中の気温は12度程度で、その差はなんと17度。
体もビックリの寒暖差で、季節が初秋から初冬へと一気に進んでしまったような異常ぶりです。
昨日10月19日朝は、東京都心の最低気温が9.9℃。10月中旬までに10度を下回るのは1986年10月20日に8.0℃を観測して以来、31年ぶりの珍事です。

これに加えて来週週明けは、これまた季節外れの台風襲来。本州のどこかに上陸する見込みですが、もし週明けに上陸となればこれまでで3番目に遅い記録で、関東上陸なら最も遅い記録となるようです。

今度の日曜は衆議院議員総選挙の投票日ですが、この悪天候は投票率にも影響することでしょうね。
私は悪天候になることを見越して、抜け目なく先日の休日に不在者投票に行って来ましたが…。

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ところで31年ぶりの寒さといえば、前回同じような冷え込みがあったのは1986年秋ということになり、これは和暦の年号に直せば昭和62年で、まだバブル前の時代ということになります。昭和末期の、近年の日本では一番勢いがあった時代ですね。

前回のブログで、「いま築地周辺は建築ラッシュ」とお伝えしましたが、近所にある憩いの広場「築地川公園」ができたのは、うろ覚えですが、確か平成になってからのことだったか?と記憶しています。
かつて家族の一員であった愛犬がこの世を去ったのがやはり昭和末期でした。
現在の築地川公園ができる以前は、埋め立てられた川の形に地下に青空駐車場が広がっていて、そこが犬の散歩コースになっていたんです。現在のバスケットコートがある広場が、そのまま河岸方面に伸びていたという状態でした。

それが時を経て、現在の形の憩いの広場「築地川公園」に姿を変えたわけですが、再来年の春の新時代の到来の前に、今またリニューアル工事中。
トイレまわりが整備されて、より快適な憩いの広場に生まれ変わろうとしているんですよ。

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また地下鉄築地駅のエレベーター工事も進んでおり、この地域はより住みやすい快適な街になることでしょう。

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ところで再来年春から始まる新時代は、どんな元号になるのでしょうか?

新しい元号の新時代がすぐ目の前に近づいてきており、昭和、平成と3つの時代を生きられそうなことが、とても楽しみです。
しかしそんな嬉しさの反面、街は至るところで工事が進み徐々に姿を変えており、昭和の築地の雰囲気や面影が日に日に薄れゆくことには寂しさを覚えます。昭和は遠くになりにけり…
それでも、この地域が昔より快適な街へと確かな歩を進めているように実感できることは、何よりですよね!

“温故知新”-時代は変わる、街も変わる-

待望の2020年東京オリンピックまで、いよいよあと3年を切りました。
会場の中心である晴海地区にほど近い築地はにわかに活況を呈してきており、魚河岸場外で築地駅周辺で、外国人観光客の姿を以前より多く見かけるようになってきた今日この頃です。先週末は通勤前の朝から、築地駅入り口で中国人と欧米人の観光客に立て続けに道を聞かれた次第です。また最近では“奥築地”とでもいうのでしょうか、かつてはほとんど地元の人間の姿しかなかった隅田川近くの築地エリアでも、外国人観光客の姿を見かけることが、珍しくありません。

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ここ築地周辺の人口自体も、先日このブログでお伝えしたとおり、一時期よりかなり増えています。
私が中学生だった1970年代中頃には、中央区の人口は11万人ほどでした。しかしその後はしばらく数万人にまで減り低迷していたのですが、現在はなんと15万人を突破しているのです。この人口増加は、少なくともオリンピック開催までは右肩上がりなのではないのでしょうか?

慣れとは怖いもので、バブルの頃から変わりゆく街の姿には慣れてしまっていたのですが、前回のブログを書く際に街角や路地を歩き回ってみると、今また築地界隈が大きく変貌を遂げようとしていることに、改めて気付かされました。

私の住む明石町のマンションの隣には1年位前までは広い敷地に邸宅があったのですが、現在はこのように新しいマンションに生まれ変わろうとしています。

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築地周辺では、色々なところで大規模な工事が行われており、いままさに建築ラッシュと言えるでしょう。
思い起こせば、地下鉄築地駅近くの築地3丁目の交差点は少し前までは交差点の4つの角に、デニーズ、小さな八百屋さん(角の隣ですが)、果物屋さん、携帯電話会社のビルがあったのですが、現在残っているのはデニーズだけ。携帯電話会社のビルは現在、地下鉄築地駅に直結したマンションの建築工事中、果物屋さんがあった所も工事中です。
他にも老舗アパレル会社があったビルがホテルに建て変わろうとしていたり、あちらこちらで工事が行われているのです。

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これによりまた更に人口が増え、それによって街はより活性化するのかもしれません。バブルが起こる前の築地周辺には100円ショップやミニスーパーなどはなく、今の方が格段と便利で暮らしやすくなっているのは確かなことでしょう。
しかしながら、それに反比例して昔ながらの築地の風情を残す建物がどんどん減っていているのも事実です。

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勝鬨橋がまだ開き、晴海通りに都電が通っていた頃とは、街の姿は劇的に変貌を遂げています。昭和の末期に亡くなった私の祖父祖母が今の築地を見たら、きっと仰天たまげることでしょう。


明石町も聖路加病院や小学校の建て替えにより、街の様相は一変。50年前の佇まいを未だに維持しているのは、僅かに残る個人宅以外には、教会くらいしかないのではないでしょうか?

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聖路加病院が一新され小学校も校舎が建て替わったことにより、シックでありながら明るい雰囲気の街になったことと思います。
しかしながら一方で、昔の白黒の外国映画に出てきそうな鄙びた聖路加病院や街の雰囲気を懐かしく思い出す自分もいます。

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※昭和の時代の旧聖路加病院の病院棟

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-時代は変わる、街も変わる-
今まさに、「古きをたずねて新しきを知る」“温故知新”の心が問われているのではないでしょうか。

築地スタイル

“築地スタイル”と聞くと、何を連想しますか?

美味しい海鮮丼や、場外市場で飛び交う賑やかな商いの声を思い浮かべる方は多いでしょう。いまや世界的観光地となった築地の代表的な風景ですよね。

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でも他にも、隠れた“築地スタイル”もあるんですよ。


築地本願寺と地下鉄日比谷線築地駅がある交差点を隅田川方面に伸びる道を真っ直ぐ行くと、やがて正面にお弁当屋とてんぷら屋の天辰さんに突き当たりますが、その突き当たる少し手前の築地7丁目、道の両側には昭和の時代には2階建ての家が並んでいました。通りの右手、現在ラーメン屋さんがあるところにはくさやを作る小さな工場があり、そして現在新聞社の社屋となっているところには、彫金師の職人の家、時計屋、煎餅屋、油屋、自転車屋が軒を並べていました。その職人の家が私の母の生家で、下の写真の左側にありました。自販機が見えるあたりが、玄関だったでしょうか…。

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コンクリート造りの2階建ての長屋?で、今で言えば、タウンハウスにあたるのでしょうか。
そんな昭和の築地の歩道上には、道ところ狭しと植木や花が競うように並んでいたものです。
祖母が花や植物が大好きだったので、特に母の生家の前には四季折々の花々が咲き乱れていたことが今でも思い出されます。


「植木や花の鉢がたくさん並んでいるのは、何も築地ばかりじゃない。他の下町もそうだよ!」
確かにそうでしょう。でも築地の鉢植えの並びには、多分、他の街と少し違う特徴があったように思います。
それは“多くの植木が、魚介類の容器に植えられていた”ことです。もちろん市場関係者が多く住む街だから自然とそうなったのでしょう、これが私の思い出の、昭和の“築地スタイル”のひとつなんです。

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先日、いつものように街を歩いているうちに何となくそんな記憶が蘇り注意して眺めてみれば、まだまだ当時の名残りがいたるところにうかがえました。
こちらの写真は、あの文豪 池波正太郎がこよなく愛した「かつ平」さんと、うなぎの名店「丸静」さん。「かつ平」さんの主人は弟の同級生、昔のお店は今とは少しだけ違う場所にありましたが、さすがに昔からの築地の住民の居。植木も“築地スタイル”です。

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“築地スタイル”の植木がいまだに街のあちらこちらに残っていることがわかって、なんだかホッコリした気分で鼻歌まじりに路地をそぞろ歩いた夏の午後でしたが、下の写真の鉢植えを見つけ、また更なる記憶が蘇りました。

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植えられているこのコンクリートの箱は、多分、昔の“防火水槽”ではないでしょうか?
祖父の家の前にもあって、そこにも花や植物が植えられていたんですよ。

防火水槽はかつてここに戦火があったことを物語っていますが、その防火水槽に鉢植えが植えられているのは、まさに戦後の平和な時代の昭和の風景なのかもしれませんね。