「時間ですよ」と「神田川」の頃

先日、築地の町会の軒先でこんなポスターを見かけました。

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現在の銭湯代は大人で460円もしますから、ハッキリ言ってこれはとってもお得です。

「でも金曜日じゃあ無理だよな…、銭湯にはしばらく行ってないけど梅雨入りしたことだし、久しぶりに早い時間に銭湯でひとっ風呂浴びてスキッと爽快、そしてコーヒー牛乳なんてのも、オツかもな…」

そんな衝動にかられて、足早に隅田川方面に歩を進めました。目的の地は銭湯「寿湯」です。
そして程なく現場に到着したのですが、何か様子が変…。少し早いけど、もうやっている時間なのにシャッターが閉まってる…
嫌な予感がしてスマホを取り出して調べてみると…何と昨年の5/17(火)を最期に廃業したという悲しい現実が。

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4年前、風呂好きの浅草の友達が築地界隈で呑もうとやってきた時に、呑む前にひとっ風呂浴びたのが、最後でした。

かつて築地7丁目に祖父の家があった頃、そう、あの「時間ですよ」神田川が流行った時代です。
「時間ですよ」は、森光子さん主演、マチャアキ浅田美代子さん等が出演の銭湯を舞台にした昭和の名作ドラマです。
神田川」は、南こうせつかぐや姫フォークソング

「貴方はもう忘れたかしら…赤い手ぬぐいマフラーにして、二人で行った横丁の風呂屋。一緒に出ようねって言ったのに、いつも私が待たされた。洗い髪が芯まで冷えて、小さな石鹸カタカタ鳴った。貴方は私の体を抱いて、冷たいねって言ったのよ…」

 今もなお、後世に語り継がれる名曲です。

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…当時、私は家に風呂があるにもかかわらず好んでしばしば「寿湯」を訪れ長湯をして、着替え場で瓶のコーヒー牛乳を飲み干し、ささかかな至福の時に浸っていたものです。

 

「そういえば…」
今度は6丁目の、同じ時代にやはり時々行っていた「入舟湯」のあった場所に足を運んでいました。こちらはもうやっていないのは知っていたのですが…
建物はまだ残っていました。かつて銭湯であった堂々たる造りの建物からは、当時が偲ばれます。

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さらに今度はあかつき公園近くにあった「白髯湯」は?
駆けつけてはみたのですが、目に付いたのはピザ屋の看板でした。


2年前の夏、家の風呂が故障した際に何日間か銭湯にお世話になったのですが、その時はいまも入船町にある「入船湯」を利用したのです。
「ああ…あの時、寿湯を選んでおけばよかった…」後悔先に立たずです。

“「時間ですよ」と「神田川」は遠くなりにけり”です。
そういえば、寿湯の横にあったおばちゃんのお惣菜屋さんも、無くなってしまった…
木の皮に包んでくれた熱々のコロッケ、絶品だったよな…。


“時代とともに街も変る”
わかってはいることだけど、何だかわびしくて空しくて、コーヒー牛乳とコロッケを口いっぱいに頬張った、梅雨を迎えた初夏の夕暮れ時でした…。

花と果実の憩いの広場 -築地川公園-

日刊スポーツ新聞社聖路加国際病院の間、ビルの谷間に四季折々の豊かな表情で人々に安らぎを与えてくれる都会の小さなオアシスがあります。

『花と果実の憩いの広場 』-築地川公園-です。

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公園名にあるとおり、この公園が現在ある場所には、かつては隅田川の支流である『築地川』が流れていました。
私が子供の頃、埋め立て後はこの公園ができるまでしばらく、川の形をそのままに活用した地下に掘れた広い駐車場があったんです。
現在北側にあるバスケットボール場やキャッチボール場が、川の形にそのまま伸びていたイメージでしょうか…。

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それが時の流れとともに姿を変え、今では『花と果実の憩いの広場 』に生まれ変っているんですよ。

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ここには春夏秋冬、様々な花が咲き、そして果物が実ります。

柑橘、花梨、びわ、さくらんぼのみならず、北側の藤棚には何とキウイまで。また北の出口近くの柵内にはイチジクが、南側の亀島橋公園にはサグロも実るんです!

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平日のお昼時にはお弁当を手にしたサラリーマンたちが集い、土日は多くの家族連れで賑わいます。

デイキャンプ施設』もあり、中央区役所に申し込めばOK。気の置けない仲間たちと、時を忘れてBBQになんてのも、一興です。

利用できる人は中央区の在住または在勤者、年末年始(12月28日~1月4日)を除き通年利用できます。
利用時間は午前10時~午後6時まで、調理用具、材料、燃料、なべ、かま類、食器等は利用者で用意、鉄板、鉄網、バケツ等はデイキャンプ場にあります。カセットコンロやバーベキューセットの持ち込みは禁止です。
予約受付は3か月前から、利用団体多数の場合は抽選となるそうです。

駐車場はないけれど、東京メトロ 日比谷線 築地駅や・新富町駅に近くて、とても便利なロケーションですよ。

デイキャンプ場利用予約(中央区役所) 03-3546-1505

そんな貴重な都会のオアシスですが、最近特に気になるのが、自転車利用者のマナーの悪さです。
公園の入り口には分かりやすく『自転車乗り入れ禁止』の看板がおいてあるにも関わらず、まったく無視して自転車で公園内を走る人が、男女問わず後を絶ちません。

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確かに築地駅に行くにはこの公園を通れば便利なのは分かるけど、やっぱりルールはちゃんと守らないといけないよね。
酷いときは、この黄色い看板が茂みに投げ込まれていることさえあるんですよ。たちの悪い輩はどこにもいるけど、まったく始末に負えません…

みんなに安らぎを与えてくれるせっかくの憩いの広場なんだから、ルールを守って、気持ちよく利用しましょう。

満天の宙に思いを馳せて

先日、学生時代によく聴いていた「さだまさし」の曲を、久しぶりに聴いてみました。

聴く曲聴く曲が懐かしく、当時の色々な思い出が鮮やかに脳裏に蘇ってきましたが、なかでも特に心に沁みてきたのは、アルバム「帰去来」の中の「線香花火」という曲でした。今よりももう少し後の夏を舞台とした名曲です。
以下が歌詞です。

♪~ひとつふたつみっつ流れ星が落ちる
そのたびきみは 胸の前で手を組む

よっついつつむっつ流れ星が消える
きみの願いは さっきからひとつ

きみは線香花火に 息をこらして
虫の音に消えそうな 小さな声で
いつ帰るのと きいた

あれがカシオペア こちらは白鳥座
ぽつりぽつりと 僕が指さす

きみはひととおり うなずくくせに
みつめているのは 僕の顔ばかり

きみは線香花火の 煙にむせたと
ことりと咳して 涙をぬぐって
送り火のあとは 静かねって

きみの浴衣の帯に ホタルが一匹とまる
露草模様を 信じたんだね

きみへの目かくしみたいに 両手でそっとつつむ
くすり指から するりと逃げる

きみの線香花火を 持つ手が震える
揺らしちゃ駄目だよいってるそばから
火玉がぽとりと落ちて ジュッ          (さだまさし 線香花火)

夏の夜に聴くとなんともシックリとくる情緒あふれるナンバーですが、この歌を聴いているうちに無性に星が見たくなり、すぐ近くにプラネタリウムがあるのを思い出し、日をあらため、行ってきました。

明石町にある中央区の施設
「タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)」です。
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 ここでプラネタリウムがやっていることはあまり知られてはいないかもしれませんが、料金も300円とリーズナブルなんですよ。

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50分ほどの投影時間でしたが、満天の星空と、柔らかなナレーターの語りが作り出す幻想的な雰囲気にすっかり引き込まれ、とても有意義な時間を過ごすことができました。

昔、真夏の夜の波打ち際で、仲間たちと仰ぎ見た星空を想い起こしました…。

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あの時一緒に星空を眺めていた仲間たち、みんな元気でやってるのかな…
今度、久しぶりに暑中見舞いでも出してみるか…

「昭和」と「平成」

前回「トイスラー記念館」がかつては、現聖路加タワーの場所にあり、もっと古めかしい雰囲気があったと話しましたが、現在の近代的な建物に生まれ変わる前の「昭和」の聖路加病院自体が、雰囲気も敷地の位置取りも今とは全く異なっていたのです。

例えば現在の病棟はこのとおりですが、

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「昭和」の同じ敷地はこんな感じでした。

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今の近代的な病棟がある敷地には、木造建築の「聖路加国際病院付属高等看護学校」があり、古い外国の映画に出てくるような趣があったことを憶えています。

そしてこの時代には病院棟は、今でも十字架がそびえ礼拝堂がある現在の「第1街区」にありました。
私が昔、映画の仕事に就いていた際に「伝染性単核球症」なる感染症を患い入院した病棟もこの場所、現在の大学の敷地にありました。

ちなみにこの「伝染性単核球症」って、日本では2~3歳までの感染が70%を占め、 20代では90%以上がこのウイルスの抗体を持っているそうで、日本人が成人してかかるケースは少ないとのこと。どうりで当時先生に「日本人はあまりかからず、欧米人がかかる病気」と言われたわけです(笑)。

話は逸れましたが、そんな奇妙な病気に苛まれ2週間以上の入院と車椅子を余儀なくされたのですが、病気が快方に向かい身動きできるようになってからは、礼拝堂がある重厚な建物を散策したものです。
トイスラー記念館」や「旧病院棟」があるこの「第1街区」を訪れる度に、今もなお、当時が鮮やかに蘇ります。

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聖路加病院が大きく変貌を遂げたことにより、この街も「昭和」と「平成」とでは異なる様相を呈しています。古めかしい異国情緒が漂っていた「昭和」のあの頃と、明るく近代的で爽やかな風がそよぐ「平成」の明石町。私はどちらが好きなのかな…

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トイスラー記念館

得も言われぬ異国情緒漂うこの洋館をご存知でしょうか?

トイスラー記念館』です。

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聖路加病院の初代院長・トイスラーの名がつけられたこの記念館は、1933年(昭和8年)に、アメリカ人建築家・バーガミニの設計により、隅田川のほとり、現在の聖路加タワーのある場所に、聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。

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聖路加病院の敷地全体の再開発の際、一時は解体の憂き目に遭い姿を消していたのですが、なんと10年ほどの時を経て、1998年(平成10年)3月に移築復元されたのです!

復元された現在の建物は、復元前と比べると、随分と概観が綺麗になったような気がします。以前は、洋館の併には蔦が絡まっていて、もっと古めかしい雰囲気があったように覚えています。子供の頃、この洋館の庭の小川でトンボのヤゴ(幼虫)を採ったことが、今でも懐かしく思い出されます。

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そんな思い出深いこの洋館が、まさか無くなった後に復元されて蘇るとは当時は全く考えもしなかった…今の場所に復元されていることに気がついたのは、なんとつい昨秋のことでした。
「何か綺麗な洋館ができたな…」とは思っていましたが、まさか復元されていたとは!嬉しい驚きで、何か心がホッコリとしました。
この街の古きを知ることができる『語り部』、かけがえのないモニュメントなんです。

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【東京 築地明石町】 Vol.2

ー散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がするー


『半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。』有名な都々逸の一節です。

明治元年に完成した「築地居留地」を舞台に、海を越えてきた粋で洒落た西洋文化の華が此の街に次々と芽吹き、それはいつしか教会へ学校など、形ある確かなものへと姿を変えました。

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時代を謳歌し、誇らしげに街を闊歩していたであろう散切り頭の人々の喧騒が、慶應義塾、青山学院、女子学院等々、数多くのモニュメントから聞こえてくるようです。

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【東京 築地明石町】 Vol.1

“文化の華 海を越えてくる ここに日本の夜明け 誉の門出…”

 

これは、かつて東京都中央区立明石小学校の隣にあった『東京都中央区立第2中学校』の校歌の冒頭ですが、歌詞からは、日本における西洋文明の黎明期に時代の最先端に立ち華やいでいた『明石町』の当時が偲ばれます。

街のあちらこちらに記念碑やモニュメント、洋邸や教会などが点在し、“明治の文明開化の香り”が、今もなお漂ってきます。

 

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安政5年(1858年)日米修好通商条約により開国の条約を結んだ幕府は、江戸にも神戸、長崎などのように貿易のために来日する外国人のための居留地を設けることを義務づけられました。そこで幕府は、隅田川の河口の武家地であった明石町を選び、明治元年に「築地居留地」が完成しました。居留地には学校や病院、教会、住居としての西洋館が建てられました。このようにして東京の町に、異国の文化が次々と広まっていったのです。この築地居留地は明治32年に条約改正にともない他の居留地と共に廃止されました。

現在、築地居留地跡には明治35年アメリカの聖公会のトライスラーが創立した聖路加国際病院が建っています。建物は最新の設備を備え、建て直されましたが、昭和7年に完成したアントニン・レイモンド設計、清水組(現在の清水建設)施工のチャペルが異国情緒を漂わせています。
また、聖路加国際病院の敷地の隅には、この地で産声をあげた小説家の芥川龍之介生誕の地を記した碑が建てられていました。芥川龍之介は明治25年三月一日(辰年辰月辰日)辰刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されたそうです。
                                                                                    -東京都中央区役所 ホームページより-

 

これから数回にわたって、西洋情緒を漂わせながらもどこか懐かしい『東京 築地明石町』を紹介していきます。