築地スタイル

“築地スタイル”と聞くと、何を連想しますか?

美味しい海鮮丼や、場外市場で飛び交う賑やかな商いの声を思い浮かべる方は多いでしょう。いまや世界的観光地となった築地の代表的な風景ですよね。

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でも他にも、隠れた“築地スタイル”もあるんですよ。


築地本願寺と地下鉄日比谷線築地駅がある交差点を隅田川方面に伸びる道を真っ直ぐ行くと、やがて正面にお弁当屋とてんぷら屋の天辰さんに突き当たりますが、その突き当たる少し手前の築地7丁目、道の両側には昭和の時代には2階建ての家が並んでいました。通りの右手、現在ラーメン屋さんがあるところにはくさやを作る小さな工場があり、そして現在新聞社の社屋となっているところには、彫金師の職人の家、時計屋、煎餅屋、油屋、自転車屋が軒を並べていました。その職人の家が私の母の生家で、下の写真の左側にありました。自販機が見えるあたりが、玄関だったでしょうか…。

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コンクリート造りの2階建ての長屋?で、今で言えば、タウンハウスにあたるのでしょうか。
そんな昭和の築地の歩道上には、道ところ狭しと植木や花が競うように並んでいたものです。
祖母が花や植物が大好きだったので、特に母の生家の前には四季折々の花々が咲き乱れていたことが今でも思い出されます。


「植木や花の鉢がたくさん並んでいるのは、何も築地ばかりじゃない。他の下町もそうだよ!」
確かにそうでしょう。でも築地の鉢植えの並びには、多分、他の街と少し違う特徴があったように思います。
それは“多くの植木が、魚介類の容器に植えられていた”ことです。もちろん市場関係者が多く住む街だから自然とそうなったのでしょう、これが私の思い出の、昭和の“築地スタイル”のひとつなんです。

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先日、いつものように街を歩いているうちに何となくそんな記憶が蘇り注意して眺めてみれば、まだまだ当時の名残りがいたるところにうかがえました。
こちらの写真は、あの文豪 池波正太郎がこよなく愛した「かつ平」さんと、うなぎの名店「丸静」さん。「かつ平」さんの主人は弟の同級生、昔のお店は今とは少しだけ違う場所にありましたが、さすがに昔からの築地の住民の居。植木も“築地スタイル”です。

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“築地スタイル”の植木がいまだに街のあちらこちらに残っていることがわかって、なんだかホッコリした気分で鼻歌まじりに路地をそぞろ歩いた夏の午後でしたが、下の写真の鉢植えを見つけ、また更なる記憶が蘇りました。

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植えられているこのコンクリートの箱は、多分、昔の“防火水槽”ではないでしょうか?
祖父の家の前にもあって、そこにも花や植物が植えられていたんですよ。

防火水槽はかつてここに戦火があったことを物語っていますが、その防火水槽に鉢植えが植えられているのは、まさに戦後の平和な時代の昭和の風景なのかもしれませんね。