颶風がもたらした真夏の邂逅 ー平成最後の隅田川花火ー

私にとって、毎年7月の最終週の週末はブルーな気分で迎えるのがすっかり通例となっています。
というのは、馬の仕事をしている関係からレース前日にあたる土曜日は原稿に追われており、隅田川花火大会は当然観戦には行けず、いつも事務所のテレビで恨めしげに横目で観戦するのが常なのです。

今年も木曜日まではそんな気分、いや、台風12号の日本上陸が濃厚で、そのアオリを受けてまた競馬開催が延期となり日曜も出勤になるのではないかと気を揉んでいたので、憂鬱さとフラストレーションはうなぎ登りでした。ところが状況は一転、台風の関東最接近が土曜日になった場合は花火大会は翌日曜日に順延、その可能性が日増しに高まり、金曜の10時についに日曜開催への順延が決まったのは私にとってまさに僥倖でした!

台風接近の折に浮かれるなんて何事か!と叱咤されるのは当然でしょう、しかし何しろ隅田川花火にはもう10年以上行けていなく、今年は平成最後の花火大会。申し訳ありませんがこれは颶風がもたらした真夏の邂逅、懐かしいあの花火の夜の浅草を全身で感じられる千載一遇のチャンスなのです。

そんなこんなで後ろめさを感じながらも、10数年ぶりに隅田川花火大会」に行ってきました。

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さて「隅田川花火大会」の前身は、江戸時代から続いていた「両国川開きの花火」でまさに下町の夏の風物詩なのですが、私が生まれる前年から交通事情の悪化や、隅田川の水質汚濁による臭害等によりしばらく開催が中断されていました。しかし1978年に、現在の「隅田川花火大会」と現在の名称となり復活したのです。
私の母校の都立高校は浅草橋にあり浅草界隈の友達も多く、花火大会復活後はしばらくは毎年参加し、「隅田川花火大会」には悲喜こもごもの青春の思い出があるのです。

特に仲が良かった友達の叔父さんは浅草寿町の老舗草履屋さんなのですが私塾も始め、その塾で私の音楽仲間達が大学に通いながらも教鞭を執っていたのです。まさにフォークの名曲「我が良き友よ」を地で行っているような奴らでした。
そして塾の2階の片隅には、しばらくの間、私のギターが置いてあったという次第です。


隅田川花火は「第一会場」と「第二会場」で行われますが、寿町は駒形や蔵前に近いですから、花火は第二会場近くの路地から観戦するのが常でした。
眼を閉じれば、ビール瓶片手に叔母に仕立ててもらった小千谷縮の濃紺の浴衣を着流して花火を見上げていたあの頃が、今でも鮮やかに蘇ってきます。

そして社会人になってからも隅田川花火の日に思い出したように塾に訪れて、お婆ちゃんお手製の煮物に舌鼓を打っていたものです。


仲間のひとりは今でも蔵前に住み、件の塾から独立して、子供相手に人の道を説いています。

彼にも5年ほど無沙汰をしているので今年は会えると楽しみにしていたのですが、親御さんの体調が優れず、残念ながら彼との再会は果たせませんでした…。だから今年は彼の地を思い出をたどるように初めて一人で訪れた、平成最後の隅田川花火でした。

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まずは築地から地下鉄日比谷線経由で上野で銀座線に乗り換え、浅草へ。終点浅草まで行くと人混みは避けられないので、昔と同じくひと駅前の田原町で下車し、寿町のエリアに向かうことに。
すると田原町駅の出口から地上に出たとたん私をいきなり待ち受けてていたのは、五感を揺さぶられるような花火の轟音と、花火大会の案内の看板でした。

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目指す第二会場の打ち上げ開始は7時半から、花火の轟音は7時から始まっていた桜橋近くの第一会場のものだったかと思います。。
10年以上も味わっていないその臨場感あふれる打ち上げ花火の轟音に全身を包まれるや否や、体中の血が一気に逆流するような得も言われぬ感動の渦に巻き込まれ、会場に向かう急ぎ足の私の眼はは早くも涙目に…。

田原町の交差点から脇目もふらずに、まず目指すは駒形橋の袂。

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しかし途中で右折し寿4丁目に入り程なくすると私の目に飛び込んできたのは、あの懐かしい「塾」の佇まいでした。

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室内の明かりは煌々と灯っていたので、塾長たちが宴を開いているかもしれません。例によって突然押しかけたいという誘惑に駆られましたが寄り道は踏みとどまり、幾つかの路地を縫うようにたどり着いたのは、どじょうの名店「駒形どぜう」近くの自然発生したであろう花火鑑賞現場でした。

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そこは既に立錐の余地もない人で溢れかえっていましたが、夜空を見上げるどの顔にも、期待と喜びが満ち溢れていました。

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そして夜空に舞う花火の残骸と熱風が時折頬を撫でながら、光と音のシャワーと煙に包まれ醉いしれる至福の刻は、瞬く間に過ぎて行きました…。そしてその後に残るのは、“祭りのあとの静けさ”です。

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こうして平成最後の隅田川花火大会は幕を閉じたわけですが、駅への帰路へと歩を進めるうちに、今は袂を分かち逢うとこはなくなった女性と二人で来た年の花火の夜や、赤ら顔の千鳥足で仲間たちと練り歩いた馬車道通りや観音裏でのワンシーンが、次々と脳裏をよぎりました。

「このまま帰りたくはない、いま少しだけこの街の風と匂いを感じていたい!」
私の足は自然と仲見世裏を抜けて伝法院通りへと向かい、煮込み通り(ホッピー通り)の歓声を背に浅草寺へと歩を進めていました。

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そして観音裏へと抜け、日曜で看板の灯りは消えている居酒屋「さくま」を右に曲り言問橋の袂へと向かいました。

すると言問橋辺りから浅草駅に向かう人並みが。ここは第一会場近く、隅田公園で花火を楽しんだ満ち足りた表情の家族連れやカップルが、名残惜しそうに、かみしめるように駅への道を思い思いにそぞろ歩いていました。

そんななかで、感慨に耽けながらひとり歩く私の前には、浴衣姿のひと組の若いカップルが。

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お互いに相手を気遣うように歩調を合わせて歩を進める二人の後ろ姿に、幸せな明日を感じたことは言うまでもありません。

最後に少しだけほっこりした気持ちになれた、平成最後の隅田川花火の夜でした…。