昭和と平成を駆け抜けた日本の食の台所 ー築地場内市場ー

去る平成30年10月6日土曜日、“日本の食の台所”と謳われ世界に名だたる“築地ブランド”を発信してきた「築地場内市場」が、惜しまれつつ83年間の歴史に幕を閉じました。

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移転に際しては長年にわたって紆余曲折がありましたが、いまさら四の五の言いません。移ったからには11日から始まる豊洲新市場には“築地イズム”をしっかりと継承し、これからもより一層、日本の食文化を牽引していって欲しいものです。


ここで「築地市場」の歴史について、簡単に触れてみます。

江戸の昔、この地には寛政の改革で有名な松平定信(1758~1829)の下屋敷に作られた庭園「浴恩園」があったそうです。“汐入廻遊式庭園”とされていますので、現在の「浜離宮恩賜庭園」のような感じだったのでしょうか…。

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そして明治維新以降は“海軍発祥の地”の海軍関係の用地となり、関東大震災で被害を受け、昭和10年(1930年)に日本橋にあった魚河岸が築地に移転してきたとのことです。


さて、周知のとおり11日からは魚市場は今度は築地から豊洲に移りますが、「場外市場」は築地の地に残るのは何よりです!
ですから、これからも美味なる海鮮丼等の美食の数々に舌鼓を打つ世界中の健啖家達の姿が、築地の街から消えることはないでしょう。


でも、でも、やっぱり長年通っていた場内のあの店のあの味が、築地で味わえなくなるのは正直寂しい!…

そんな焦燥感に駆られて先週の月曜日はランチのハシゴ、金曜日は出勤前に朝メシのハシゴを敢行して参りました。

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場内市場の最終週となる先週は、私みたいに築地場内市場の最後を惜しむ数多の人で、場内の飲食店は、どこもいつも以上に活況を呈していました。

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テレビCMにも登場した吉野家1号店」など、特に長蛇の列が。ここの牛丼って、チェーン店だから同じレシピで作っているはずだけど、実は何故か本当に他の店舗より美味いんですよ…自分の舌がおかしいのかなと思い、かつて知人のある有名レストランのシェフを連れて行って聞いてみたことがあるんですけど、答えは「煮込み方が違う!」でした。やっぱりね…、食のプロがひしめく場内だからね。。
豊洲に移転してからは、店名は豊洲新市場店」となるそうです。願うは移転後も変わらぬあの味が存続してくれることだけ、そこんトコロよろしく!

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そして私のイチオシ中華「ふぢの」の店内では「これまで長い間お疲れ様、有難う!」、「豊洲に移ってからは、シロウトは場内に入れるの?…」等など、今回の移転に際しての思い思いの感慨深い言葉が飛び交っていました。

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ここも豊洲に移転しますが、ちょっと残念なのは移転後は少し値上がりし、メニューの具材も一部かわるとか…。まあ、諸費用が今までどおりとはいかないのでしょうから、仕方ないところです。それに値上がりの告知をしていることは、むしろ良心的ではないのでしょうか。よほどの値上がりでない限り、昔ながらの味が味わえるのなら、何も言いません。
それにしても大盛況すぎて、お店のおばちゃんてんてこ舞いで、舞い上がってたな…(笑)。

インドカレー「中栄」も、洋食「禄明軒」も、中華「やじ満」も無くならずに豊洲に移転しますから、ファンの方々、ご心配は無用ですよ。

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…そんなこんなで、先週は2日にわたって飯のハシゴを敢行してきましたが、「場内」の思い出はもちろん飲食店だけではありません。


自分は築地の隣町明石町の小・中学校出身であり家が魚河岸関係者という友達が少なくなく、少し前には小学校の同級生が、テレビ東京のある有名な情報番組に出ていました(笑)。
そして今はもうありませんが、昭和の終わり頃まで、築地7丁目に母の実家があり、家の事情で少しの間そこで暮らしていたことがあるのです。
隣家で製造している「くさや」の得も言われぬ強烈な匂いや、夜の静寂の中、前の通りを通る大型トラックの音と振動など、今でもありありと思い出されます。
現在は明石町を住処にしていますが、魚河岸のターレはちょくちょく明石町まで姿を現していたんですよ。今も走っているかもしれません。

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また、かつて映像・広告業を生業としていた頃、確か30年ほど前だったと思いますが、深夜にマグロのセリの映像収録を行ったことがあります。
独特の「手ぶり符牒」があると聞き勇んで収録に臨んでみると、圧倒されたのはむしろエネルギッシュな諸兄の口から発せられる「口唱」でした。素人の私からすれば、まるで念仏を唱えているようで、何と唸っているのかよくわかりませんでした。築地市場は本当に独特の世界、「ここは職人集団の空間なんだ」と実感したことを覚えています。


場内市場が豊洲へと移り、元号も来年新しくなります。
昭和は遠くになりにけり……時の移ろいにいささか寂しさも覚えますが、後ろばかりを振り返っていても仕方ありません。
かつて魚河岸が日本橋から築地に移転し築地が栄えたように、次は豊洲の栄えある未来を願ってやみません。

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それにしても、築地場外はいよいよ施設が解体されますが、跡地は今後どうなるのでしょうか…。追って跡地の様子も取材してお届けします。もちろん豊洲新市場」の様子もね。


……ところでこの駅名、どうなるんだろう?

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