「昭和」と「平成」

前回「トイスラー記念館」がかつては、現聖路加タワーの場所にあり、もっと古めかしい雰囲気があったと話しましたが、現在の近代的な建物に生まれ変わる前の「昭和」の聖路加病院自体が、雰囲気も敷地の位置取りも今とは全く異なっていたのです。

例えば現在の病棟はこのとおりですが、

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「昭和」の同じ敷地はこんな感じでした。

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今の近代的な病棟がある敷地には、木造建築の「聖路加国際病院付属高等看護学校」があり、古い外国の映画に出てくるような趣があったことを憶えています。

そしてこの時代には病院棟は、今でも十字架がそびえ礼拝堂がある現在の「第1街区」にありました。
私が昔、映画の仕事に就いていた際に「伝染性単核球症」なる感染症を患い入院した病棟もこの場所、現在の大学の敷地にありました。

ちなみにこの「伝染性単核球症」って、日本では2~3歳までの感染が70%を占め、 20代では90%以上がこのウイルスの抗体を持っているそうで、日本人が成人してかかるケースは少ないとのこと。どうりで当時先生に「日本人はあまりかからず、欧米人がかかる病気」と言われたわけです(笑)。

話は逸れましたが、そんな奇妙な病気に苛まれ2週間以上の入院と車椅子を余儀なくされたのですが、病気が快方に向かい身動きできるようになってからは、礼拝堂がある重厚な建物を散策したものです。
トイスラー記念館」や「旧病院棟」があるこの「第1街区」を訪れる度に、今もなお、当時が鮮やかに蘇ります。

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聖路加病院が大きく変貌を遂げたことにより、この街も「昭和」と「平成」とでは異なる様相を呈しています。古めかしい異国情緒が漂っていた「昭和」のあの頃と、明るく近代的で爽やかな風がそよぐ「平成」の明石町。私はどちらが好きなのかな…

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