トイスラー記念館

得も言われぬ異国情緒漂うこの洋館をご存知でしょうか?

トイスラー記念館』です。

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聖路加病院の初代院長・トイスラーの名がつけられたこの記念館は、1933年(昭和8年)に、アメリカ人建築家・バーガミニの設計により、隅田川のほとり、現在の聖路加タワーのある場所に、聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。

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聖路加病院の敷地全体の再開発の際、一時は解体の憂き目に遭い姿を消していたのですが、なんと10年ほどの時を経て、1998年(平成10年)3月に移築復元されたのです!

復元された現在の建物は、復元前と比べると、随分と概観が綺麗になったような気がします。以前は、洋館の併には蔦が絡まっていて、もっと古めかしい雰囲気があったように覚えています。子供の頃、この洋館の庭の小川でトンボのヤゴ(幼虫)を採ったことが、今でも懐かしく思い出されます。

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そんな思い出深いこの洋館が、まさか無くなった後に復元されて蘇るとは当時は全く考えもしなかった…今の場所に復元されていることに気がついたのは、なんとつい昨秋のことでした。
「何か綺麗な洋館ができたな…」とは思っていましたが、まさか復元されていたとは!嬉しい驚きで、何か心がホッコリとしました。
この街の古きを知ることができる『語り部』、かけがえのないモニュメントなんです。

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【東京 築地明石町】 Vol.2

ー散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がするー


『半髪頭をたたいてみれば、因循姑息な音がする。総髪頭をたたいてみれば、王政復古の音がする。散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。』有名な都々逸の一節です。

明治元年に完成した「築地居留地」を舞台に、海を越えてきた粋で洒落た西洋文化の華が此の街に次々と芽吹き、それはいつしか教会へ学校など、形ある確かなものへと姿を変えました。

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時代を謳歌し、誇らしげに街を闊歩していたであろう散切り頭の人々の喧騒が、慶應義塾、青山学院、女子学院等々、数多くのモニュメントから聞こえてくるようです。

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【東京 築地明石町】 Vol.1

“文化の華 海を越えてくる ここに日本の夜明け 誉の門出…”

 

これは、かつて東京都中央区立明石小学校の隣にあった『東京都中央区立第2中学校』の校歌の冒頭ですが、歌詞からは、日本における西洋文明の黎明期に時代の最先端に立ち華やいでいた『明石町』の当時が偲ばれます。

街のあちらこちらに記念碑やモニュメント、洋邸や教会などが点在し、“明治の文明開化の香り”が、今もなお漂ってきます。

 

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安政5年(1858年)日米修好通商条約により開国の条約を結んだ幕府は、江戸にも神戸、長崎などのように貿易のために来日する外国人のための居留地を設けることを義務づけられました。そこで幕府は、隅田川の河口の武家地であった明石町を選び、明治元年に「築地居留地」が完成しました。居留地には学校や病院、教会、住居としての西洋館が建てられました。このようにして東京の町に、異国の文化が次々と広まっていったのです。この築地居留地は明治32年に条約改正にともない他の居留地と共に廃止されました。

現在、築地居留地跡には明治35年アメリカの聖公会のトライスラーが創立した聖路加国際病院が建っています。建物は最新の設備を備え、建て直されましたが、昭和7年に完成したアントニン・レイモンド設計、清水組(現在の清水建設)施工のチャペルが異国情緒を漂わせています。
また、聖路加国際病院の敷地の隅には、この地で産声をあげた小説家の芥川龍之介生誕の地を記した碑が建てられていました。芥川龍之介は明治25年三月一日(辰年辰月辰日)辰刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されたそうです。
                                                                                    -東京都中央区役所 ホームページより-

 

これから数回にわたって、西洋情緒を漂わせながらもどこか懐かしい『東京 築地明石町』を紹介していきます。

 

 

“桜花”よ、有難う!

昨日は季節はずれ?の寒の戻りで、咲き誇る桜花も冷たい雨に晒されしとどに濡れて、花を散らしてしまった木々が多かったことでしょう。

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しかし、わが街、隅田の畔の桜花は耐えてくれました!
今日から週末にかけて、目に滲みるような見事な桜吹雪が青空に舞うことでしょう。

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…ところで“桜花”といえば、先週末は桜花賞がありましたが、こちらの桜花も、ささやかながら私に微笑みかけてくれました。

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“桜花”よ、有難う!

花見の喧騒の傍らで

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4月2日日曜日に満開予想が出ていた都心の桜が、遅ればせながらほころび始め、今夜は築地川公園でもお花見に興じるグループの姿がチラホラと。待ちに待ったお花見シーズンの到来だ。

しかしそんな喧騒の傍らでおごそかに佇むモニュメントに、ふと目を惹かれました。人々の喜びや悲しみをあたかも包み込むように、あたりまえのようにいつもそこにあるー。

桜色の歓声で盛り上がったあとのほろ酔いの帰り道、柔らかな金色の光に何故だか暖かさを覚えました。